看護師あるかりの雑記なブログ

そこら辺の看護師の雑記です

30代で働きながら看護師国家資格を取得した話-4-

どうも、あるかりです。

 

今回は私自身の人生最大の挫折である、2年制の看護専門学校へ入学。そして退学へ。

何に凹み、なぜ退学してしまったのか語りたいと思います。

 

私は衛生看護科の高等学校を卒業し、それと同時に准看護師資格も試験に合格した為取得しました。

准看護師の資格があるので、そのまま高卒で働くことも可能だったのですが、やはり国家資格の取得を目指した方が就職先も幅広く選択できる為、2年制の専門学校に入学しました。

 

専門学校へは推薦入学で一般試験を受けず、別日にテストを受け、面接で合格が出されました。

 

その時は何にも思っていなかったのですが、私が入学した専門学校の生徒の平均年齢は25歳前後でして。

上は40代、殆どが30代〜20半ば。

18歳は私だけでした。

男子生徒は皆30代でした。

 

あー、これまた友達できんやつやん!!

そう思って心配をしていましたが、クラスメイトの皆さんが本当に優しくて、気を遣ってくれたり「飲み会は呼べないけど、家で鍋するからおいでよ」と食事に呼ばれたりして、不安は吹き飛んでいきました。

 

勉強もクラスでは上位に入っており、奥様方から勉強法を教えてほしいとお願いされ、図書館で勉強法をお伝えしたりして、そこそこ楽しい学生生活を過ごしました。

 

 

 

 

え?じゃあ何で退学したんや?

って思うでしょう?

 

私が専門学校時代にぶつかった壁は、その学校の教員です。

 

私、いままで書いていた通り、勉強はできたのですが、実技能力がありませんでした。応用力もないため知識があるのに技術がない残念な生徒でした。

 

周りの人達は准看護師で実務経験あり、援助や介助時の技術があり臨機応変に対応をしておりました。

 

私はそれがとても悔しく、見様見真似で練習していましたが、不器用な私にはなかなか難しかったです。

 

そんな中、1人の教員に目をつけられました。

できない生徒を見つけると、潰しにかかる看護教員っていません?

露骨にわかりやすい差別をする教員にダメな奴認定を食らってしまい、ある日を境にその教員から無視や差別、授業中に「また、あるかり君が出来てませんでした。」と私の失敗を吊し上げる様な発言をするなど嫌がらせを受ける様になってしまいました。

庇ってくれるクラスメイトも居ましたが、その教員が副学科長で学校内のクソくだらない派閥の偉い人でして、庇ってくれた人にもキツく当たる為、次第に庇ってくれる人も減っていきました。

 

そんな中、最初の基礎実習が始まりました。

 

病院実習では、実際に患者さんを受け持ち、情報収集、関連図の作成、まとめた情報をアセスメントし、看護計画の立案、実施、評価を行います。

また、その日の実習を行うための目標を立て、受け持ち患者さんに行う援助の計画を立てます。

深夜まで頭を捻って考えて、寝不足で実習に行く。

今まさに頑張っている看護学生の君、寝れないって辛いよね。

今現在看護師として活躍されている方も「あーあったなー。」と感じていらっしゃると思います。

 

私、これホント苦手でした。当時はパソコンで打ったらダメだったので全て手書きでしたしね。

腱鞘炎になった人もいました。

 

 

私が実習を乗り越えられなかったのは、この実習計画やらが上げられなかったからではありません。

 

実写指導者が、あの教員(副学科長)だったのです。

 

 

初日からひどい扱いでした。

あげた目標も、計画も「ダメ、違う」の一言で払われました。

目も通してくれてないのです。

 

他の学生が質問をするとニコニコしながら対応してましたが、私が質問をすると「わからないなら帰れば??」と言われてしまいました。

 

それでも何とか基礎実習を越えたのですが。

2年生に昇級する準備をしている最中、副学科長に呼び出されました。

面接室に呼ばれ、入ると中には担任と副学科長がいました。

 

言われた言葉は今でも忘れられません。

 

「今回の実習。貴方は最低点でした。私は貴方を2年生に上げたくなかった。むしろ、看護師になって欲しくない。貴方には看護師は向いていない。患者様を死なせる前に、看護師になるのを諦めて欲しい。」

淡々と話す副学科長。

担任はずっと俯いてました。

 

何が問題だったのか詳しく教えてほしいと伝えました。

 

「それがわからないのが問題なの。貴方には看護師になる価値がないの。」

と答えられました。

 

19歳の私は頭に血が上り、面接室の椅子を蹴り上げ、「ならもう辞めます。学校辞めます!!」と叫んで出ていきました。

悔しくて悔しくて帰り道に泣き続けました。

翌日退学届を取りに来いと連絡がありました。

両親はおかしいんじゃないかと学校に連絡をしてくれましたが、学校側から「彼は学校内で教員に対して暴力行為を行いました。彼の自主退学で場を収めます。」と言われました。

 

あぁ、あの椅子を蹴り上げたことが…。

やっちまったなぁ。

そう思いました。

 

呆れた両親。

父からは「お前に出した学費が無駄になったな。働いて返せよ。」と言われました。

悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。

 

退学した翌日から、私の准看護師としてのキャリアが始まったのです。

 

なんで准看護師で働くの?って思われた方もいると思います。

仕方ないじゃないですか、普通の高校を卒業したわけじゃないんです。

手に持った武器が准看護師の資格だったのです。

今でも向いてるとかよくわかっていません。

 

長文で暗い内容で、被害者チックな感じですみません。

私にも悪い所はあったんだろうなとは思うんですけどね。

 

 

 

次回は准看護師でどんな仕事をしていたか、そして再び学校に行った理由。を語りたいと思います。

 

 

 

では、また。